■〝誰にも言うな″ と言ったF・ルーズベルト大統領

会員の主張・小論
岩手県本部 会員の主張・小論  令和2年12月15

〝誰にも言うな″
と言ったF・ルーズベルト大統領

会員名
K・C


 かって、建国記念日の日に盛岡劇場でケント・ギルバート氏に講演をいただきました。その中でケント氏は、F・ルーズベルトを〝悪どい大統領〝と表現しました。なぜそのように言ったのか。それには、F・ルーズベルトがやった多くの問題の事実があるからです。今月の12月22日、彼が出した最新の本から、その一部を紹介します。
-「日米開戦最後の真実」より

 『真珠湾攻撃・ルーズベルトは知っていたか』(読売新聞社)この本の著者、今野勉氏が、1982年にカールトン・ケッチャムという元空軍大佐に聞き取りを行いました。空軍大佐は、FBIのフーバー長官が1942年2月にワシントンD・Cでの秘密会合で話した内容を今野氏に伝えています。要約すると
「フーバーは(日米開戦前の)1941年9月に、極東の秘密情報部員および香港かシンガポールのイギリス人ビジネスマンから『日本がパールハーバーか、フィリピンのクラークフィールドを攻撃する予定である』と警告を受けた。攻撃の危険を感じたフーバーは、大統領に、このことをハワイのキンメルやショートに知らせるべきだと進言した。
しかし、大統領はそれを拒絶して「誰にも言うな」と逆に諭された。

 大統領特別顧問のハリー・ホプキンスやノックス海軍長官、そして、マーシャル将軍にも伝わっていた。その後も日本軍攻撃の警告が何度かあり、最後は攻撃の一週間前だった。非常に詳細な内容が極東からあったため、再度、大統領にハワイの将官にそのことを知らせるように要請したが、大統領はこの件は自分に任せろと言って終わってしまった。

 攻撃の2,3日前に、一般市民から、太平洋をハワイ方面に向かっている日本艦隊の無線をキャッチしたという通報があった。その無線は真珠湾まで3日ほどのところだった。東インド諸島のオランダ人スパイからは、近々攻撃がおこなわれるという警告があった。フーバーは再度大統領にハワイの指揮官に知らせるよう懇願したが、結局、自分が行動するまで一切漏らすなという返事だった。」つまり、アメリカ側には相当早くから、日本の動きが判っていたということである。しかし、開戦を待ち望んでいたルーズベルトはそれをハワイに伝えなかった。そしてルーズベルトは‶日本に騙し討ちされ、攻撃を受けた″として開戦の口実に使ったということです。

彼らには、充分なインテリジェンス(諜報、情報)があった。日本側にももっと充分な情報網があったら、三国同盟も、真珠湾攻撃もなかったと思う。未だに日本には、先進国としてのインテリジェンスの体制が出来ていないという。
歴史の教訓にももっともっと学ぶべきではないだろうか。中西輝政氏が度々言っていることでもある。