(2)憲法改正の提言の紹介。

平成30年5月3日、決起大会が開かれ「美しい日本の憲法をつくる岩手県民の会」から憲法改正提言文がマスコミにも広く発信されました。

2018年 5月3日、岩手県本部から出され、決議した「憲法改正提言文」は次の通りです。

本日の5月3日は、1947年、つまり、日本敗戦の2年後、新しい日本の憲法が施行されて、以来71年という日であります。今日は、憲法について話し合うには、相応しい日であります。

日本の歴史の中で、最初に国として、検討され作られた憲法は、明治憲法であります。先進国に追いつき、近代国家になるためには、法の整備をしなければならない。それには、まず憲法を定めなければいけない。
憲法の成立に腐心したのは、承知の通り、伊藤博文であります。

日本に合う先進の例はどこなのか、アメリカは合衆国なので、参考にならない。
イギリスは、国王がいて、国民の国なので、日本に似ているが憲法は、明文化されていない。ヨーロッパ諸国に日本に合う例はないものか、しかも日本らしいものにしなくてはならない。大いに苦労されて、結局、憲法の成立には13年かかったと記されております。日本の明治憲法の形は立憲君主国家の形であります。
この憲法下で、明治と、大正と、昭和20年まで、日本は、歴史を歩んできたわけであります。明治憲法は長い期間、施行されたと考える人が多いのですが、正しくは55年間であります。
さて、昭和20年、日本は国として敗戦を認め、8月にポツダム宣言を受け入れ、終戦となりました。

日本はアメリカの占領下に置かれました。日本が占領された期間はほぼ7年間であります。
日本に対して、占領軍は、次々と大きな手を打ちました。最初に打った大きな対策は、組織的な言論統制であります。(昭和20年9月10日)言論界、新聞等の検閲、NHKも支配下におきました。
手紙、電報をチェックし電話の盗聴も開始しました。
そして財閥の解体、農地の改革、20万人を超える大規模な公職追放、警察機構の解体、教育の内容の変更が指示されました。

そういうことが進む中で、昭和20年10月マッカーサー元帥は、幣原首相に憲法改正を指示しました。その時の国務大臣は、松本烝治であります。国内では憲法についての権威者でありました。松本烝治博士は、委員会を作り、改正原則を明示し、甲案と乙案の2案を作りましたが、残念ながらGHQから、この2案とも拒否をされ、あげくのはて、公職追放されました。

日本に代わって、GHQ側が憲法の作成を決めたのは、日本占領の翌年の1946年2月3日であります。翌日には、急遽スタッフ25人で委員が編成され、大至急で憲法の作成にとりかかり、草案の完成は2月12日、つまり9日間で仕上げたということであります。作成に関わった25人には、憲法の専門家は誰もいなかったということであります。仕上がったばかりの日の翌日の2月13日、GHQの方から、日本側に草案が提出されました。

彼らは、日本側に決定的な決めゼリフを言いました。
〝この草案を受け入れなければ、政府の頭越しに草案を国民に提示し、そして天皇の身柄は、保証できない”と明言しました。GHQはマスコミを支配下に置いておりました。日本側は、この言葉に何を言えたのでしようか。
憲法の9条を考えたのは、幣原首相という人もいますが、元NHKのアメリカ支局長であった日高義樹氏がかって憲法に関わった人達へのインタビューで複数の人が〝9条を考えたのは、マッカーサーであって、幣原首相というのは、一種の欺瞞である″と明言しています。(リチャード・フィン博士・他にもあり)

当時マッカーサーは、吉田首相に9条について次のように言っています。
「憲法に戦争を放棄するという第九条を入れなさい。日本を民主化するための規定を盛り込みなさい。もしそれが気に入らなかったり、うまくいかなかったりした場合には、占領が終わったあと、なくしてしまえばいい。憲法を変えるのは自由だ。日本が独立した時、憲法をどうしようがそれは日本の自由だ」
(リチャード・フィン博士の証言)

つまり、マッカーサーからすれば、占領期間中は兎に角この憲法で統治する意志を持っていたということであります。
アメリカ側からすれば、特に、憲法草案に関わった人達から見れば日本が独立した後も、日本の新憲法施行70年経っても全く変更がなく手つかずというのは驚きであるのは、当然であります。

なぜ、日本の憲法にはどの国にも当然ある国防がないのか。
また、日本は地震国であり、津波あり、噴火も度々あり大災害が予想される国でありながら、なぜ緊急事態条項がないのかというであります。
占領期間中、日本には軍が解散させられてありませんでした。政治機構も相当解体され国の防衛、大規模災害も日本には、対応できるはずもなく、それは占領軍が担当するわけです。その頃の日本人は一人一人がその日々の食料にもこと欠いていたということであります。

しかし驚くべきことがありました。日本に新憲法が敷かれて3年後、1950年6月に朝鮮戦争が勃発しました。金日成がソ連の支援を得て、韓国に攻めてきました。更に中国が、その戦いに参入してきました。
占領軍も、この朝鮮戦争を機に、日本への占領政策を大きく転換しました。
日本を自由主義陣営の防波堤にする方向への転換を図ったのであります。
朝鮮戦争が起きた翌月の7月にはGHQの指令により、日本の警察力を増強し、陸上自衛隊の前身である警察予備隊の創設、海上保安庁の増員等がなされました。
朝鮮戦争の戦線拡大を見れば、国の防衛という意味で当然の処置であります。
しかし、他方でこの頃から憲法との整合性が論議されることになりました。
マッカーサーは、〝国を守ることは、憲法に違反しない″と言い、吉田首相は、〝自衛のための戦力は憲法に違反しない″と言い、数日後にそれを訂正するということも起こりました。
日本国内で憲法をめぐるこのような紆余曲折は、多くの国民の知るところであります。つまり1947年5月3日に新憲法が施行されて、3年後の1950年にはもう問題が起きていた―ということになります。

そして、更に2年後の1952年、4月にサンフランシスコ条約が調印されて日本は独立を果たし、占領軍は撤退することになりました。この時期は未だ朝鮮戦争が終わってない時期であります。

日本は独立すれば、当然憲法の見直しはなされるであろう―アメリカ側の憲法の草案に関わった多くの人は、そう考えていました。しかし日本が、独立して66年、憲法施行から71年経っても一字も一行も変えられていないまま現在に至っているということであります。

ちなみに、日本と同じ敗戦国であるドイツは現在まで60回を超える憲法改正がなされています。日本は占領軍が9日間で作った憲法が明治憲法を超えて未だ続いているということであります。

私共、〝美しい日本の憲法を作る岩手県民の会″では憲法改正について、2つの件について、憲法に明記することを主張しています。
1つは〝自衛隊を憲法に明記しよう”ということであります。

北朝鮮のみならず中国の軍事的拡大は正に目を見張るものが有ります。一例をあげると平成28年の自衛隊機のスクランプルの回数は1,168回。日本の空を脅かす飛行機の国籍が判っている分だけでも平成28年は34%も増え、中国機だけ見ると49%も増えています。中国の軍事力は南沙諸島周辺のみならず、日本の周辺までその拡大が進んでいます。日本の防衛として、ますます自衛隊の存在が重要になっております。(2020年は更に中国の挑発が増えています)

私達、日本人は自衛隊の方々が次の様な事を宣誓して働いていることを知っているのでしょうか?
「事に臨んでは、危険を顧みず、身をもって、責務の完遂に努め、もって国民の負託に応えることを誓います。」―この言葉であります。
自衛隊の災害派遣は1年で、約500回、当然事故も起きます。
自衛隊の殉職者は創設から約60年で、1,900人を超えております。しかしかたや、憲法学者の63%の方が自衛隊は違憲の疑いがあると言い、他方で教科書には〝自衛隊は憲法に違反するという主張もある”と書かれているのもあります。
なぜか自衛隊の殉職者についてマスコミは殆ど報道しない。憲法学者の殆どは〝自衛隊は憲法に違反の疑いがある”と言いながら、〝だから憲法を改正すべきである″とは声高に言いません。なぜでしょうか?

こんな状況にありながら、自衛隊の方々の長い長い努力により、今や、多くの日本人は自衛隊の働きを理解し良い印象を持つ方々が増え、PKO(国際連合平和維持活動)にも参加すべきという方が、大半を占めております。(平成26年内閣府の世論調査)
正に、今こそ、自衛隊を憲法に明記すべきではないでしようか。

憲法に明記することを主張する第2は、〝緊急事態条項の新設”であります。
東日本大震災で死者、行方不明者は約2万人、被害は17兆円弱でした。

しかし、30年以内に70%の確率で予想されている大地震の被害額は首都直下型では、東日本の5,6倍、南海トラフでは、13倍であります。
現在の法律では、地方自治体が中心となって対応する、〝災害対策基本法”がありますが、こんな大型の大災害では人的能力としても、予算規模から見ても、とても地方自治体だけの対応は不可能であります。

こんな大型の大災害では自衛隊、消防、警察、地方自治体等が相互に連携して動き、国も緊急の政令を制定し、特別の予算措置があって初めて出来るものであります。
緊急事態条項は、憲法があれば、この条項があるのが普通であります。日本の憲法は占領軍が占領期間内に合わせて作ったものでありますので、この重要な条項が欠けたままであります。
いずれ、大型の大地震が明確に予想されているのは、地震学者の認めることであります。
つまり、憲法に〝緊急事態条項を新設”しましよう―ということであります。

私共、〝美しい日本の憲法を作る岩手県民の会”の主張は
1つに、〝憲法に自衛隊を明記”し
2つに憲法に〝緊急事態条項の新設”をしましょうということであります。

尚、自民党は憲法改正の条項に、上の2つの外に、地方の弱体化を防ぐため、
③参議院の合区の解消と④教育の充実という項目を更に加えた憲法改正の
たたき台素案を出しておりまして、私共はこの2つについても充分に同意できる内容であると理解しております。

今や、国会においては、憲法改正のための国会発議に必要な2/3以上の議席を占めるに至り、他方〝美しい日本の憲法を作る会” の全国的な活動によって今年2月、憲法改正の賛同者1,000万人を突破しました。

占領期に作られた憲法が施行されて71年。漸く改正できる条件が整いつつあります。日本国民自らの手で、伝統を尊重しつつ、未来に向かって発展出来るよう、実態に合うより良い憲法の成立に努力しようではありませんか。多くの方々の理解をいただいてぜひ成功させたいものであります。皆様のご理解とご協力お願い致します。

          2018年 5月 3日
美しい日本の憲法を作る岩手県民の会
     共同代表   小苅米 淳一
            藤原 隆磨

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