■日本の基(もとい)は何なのか?

会員の主張・小論
岩手県本部 会員の主張・小論  令和3年1月1日

日本の基(もとい)は何なのか?

会員名 J・K


 私も経営の最前線から退いて10年余りになった。
かねがね興味のあった日本の原点を求めて全国各地の名所・旧跡・博物館を廻り歩いた。
神武天皇の御父母が祀られている大隅半島の吾平山(あいらさん)上陵にも訪ねたこともあった。古事記、日本書紀に書かれていることは、相当に事実の裏付けがあることも了解した。歴史・文化に関する本も相当多く読んだ。つまり、歴史に育まれた日本の原型は何なのか、漸く実感として、わかり始めて来た。

 日本は、かなり古くから、神社神道があった。豊かで変化のある自然もあり、森羅万象を畏敬し、敬い、国づくりに貢献された祖を〝神″としてきた。その伝統に六世紀初頭に大陸から儒教が入り、続いて佛教が入ってきた。特に佛教は天皇自らが興隆に努力されてきた。しかし、その天皇のこのご行為は、古き神道を否定するものではなかったということは驚きである。

 その後、孔子の論語をはじめ広範な儒教の思想が広く多くの人々に本格的に学ばれ、それは本家の中国さえ凌ぐようになったということである。
かくして、日本の精神文化は、神道・佛教・儒教と三層構造となった。これが、年月を経て、熟成し、対立することなく共存し、融合し、日本文化の基となったのではないかということである。こんなことは他国ではありえない。神社と佛教を国の柱として長く支え、導かれたのは歴代の天皇のお力である。一方で儒教は抑圧されず、多くの人に求められ、学ばれていったのである。

 日本は島国であったことも幸いし、海外からの大規模な侵略を防ぎきったことも背景にはある。
 この大和の国、なんと我々は幸いであることか。年を経るごとにそれを益々実感する此頃である。
 かといって、グローバル化と対立が進む世界、日本も安心してはいられない。共産党独裁の国が隣にある。日本の伝統、文化とは全く異質の背景を持った強力な国は、過去にあった恐ろしい全体主義の国を思わせる。日本は真面目すぎるせいか嘘と謀略に誠に弱い国である。国は充分な‶防″と‶備″を整えなくてはいけない。憲法改正などは当然のことである。野党も屁理屈をいいかげん止めないか?